ロベルト・バッジョ(Roberto BAGGIO)は、イタリア・カルドーニョ出身のサッカー選手。
国籍 イタリア
生年月日 1967年2月18日
出身地 カルドーニョ
身長 174cm
体重 73kg
ポジション FW
利き足 右足
1982-1985 ヴィチェンツァ
1985-1990 フィオレンティーナ
1990-1995 ユヴェントス
1995-1997 ACミラン
1997-1998 ボローニャ
1998-2000 インテル
2000-2004 ブレシア
ファンタジスの象徴ともいうべき選手で、引退した今も熱狂的なファンを持ち、 なおかつ現在の現役プレーヤーのなかにも彼をリスペクトしている選手は非常に多い。
03~04シーズンに引退するまでに、歴代5位となるセリエA通算205ゴールをあげ、 1993年にはバロンドールと、1993FIFA最優秀選手をW受賞するなど記憶だけではなく 記録の面でも選手として輝かしい成績を収めている。
いくら優秀なプレーヤーといえども、イタリアの名門、ユヴェントス、ACミラン、インテル、 このすべをわたり歩いたのはバッジョくらいなものではないのでしょうか。
個人的に印象に残っているのはインテル時代の彼ですが、監督との確執によりなかなか 試合に出れないにも関わらず、腐ることなく、なおかつ出れば必ずといっていいほど結果を 出すあたり、サッカーの神に選ばれた人間というのもいるものはいるのだなと感じていました。
欲を言えばもう一人の怪物ロナウドとの夢の2トップはお互いの怪我もあり、あまり見れません でしたから、もっと観たかったなというのが、今だにに私の心残りです。
バッジョの話をする際に欠かせないのが、やはり監督の不仲でしょう。観客からは愛され、 監督からは嫌われる、チェコのネドベドが、「彼は生まれながらの優雅さを持っている」 と評価しているように、 そのカリスマ性ゆえに、どうしてもチームを統率する上で バッジョは偉大すぎたのかもしれません。
また、何度もイタリア代表としても活躍しているバッジョですが、そんな活躍とは裏腹に、決して 忘れられることのない事件が、1994年アメリカ大会でしょう。紆余曲折ありながら、監督との信頼 関係が微妙になりながら、チームは決していい調子ではなかったが、何とか決勝までこまを進めました。
そこでは当時のブラジルのエース、ロマーリオとの直接対決が注目され本調子ではないながらも バッジョは強行出場しました。試合はワールドカップ決勝史上初のPK戦!ブラジル優勢の状態で 最後のキッカーとなったバッジョのキックは、大きくゴールの枠を外れ、空高く打ち上げられ、イタリア はブラジルに敗退した。
このことでメディアや監督は後にバッジョを大きく非難したが、個人的な見解をいえば、いくらエースとはいえ、 調子の悪い選手にPKを蹴らした監督でありチーム全体の責任というのはあるのではないのか問う思いますが、
バッジョが後に残した、「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」や「PKを決めても 誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない」といった名言は、彼の偉大さを改めて確信すると共に、 私を含め、多くの人にとって忘れられない言葉となりました。
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